視点を増やすと楽しい話~レゾンデートル・パーティー~
勝手にアマプラのひぐらし卒レビュー見て勝手にキレながらムテキング見てたらバーチャルツイッタラーと化した影山ですこんにちは。
ムテキングは見なくていいです。テスラノートを見ろ。
同じ作品を視聴して別の人間で感想が変わるっていうの当たり前だと思うんですけど実は凄くないですか?っていう凄い当たり前の話を言語化したくなったので書くだけです。
だったら自分の中に全てのパターンで楽しめる人格を疑似的に宿せば全て楽しめるな?ってなってここ2ヵ月ぐらい色々アニメドラマ映画見てました。
この辺でそれが出来てるって人は読まなくて大丈夫です。
結論ほとんど出来ると思います。
結局創作物である時点で、人の作った物なので意思が介在してるんですよね、
そこの意思を汲み取ろうとすればそれ自体が「楽しみ方」になるんで大体楽しめます。
勿論、一人と一人の会話ではないのでどうしても汲み取れない部分は存在してくると思うんですが、殆どないです。
「この展開、好きな人いそうだな~」って思考を捻じ曲げて自分を騙すと基本いけます。
一番良かったのがゲキドルを見た時で、この作品SF×アイドル×百合なんですけど後者の2つが特に苦手だった為もう実は男だってフィルターかけて見たんですよ。BLは好きなので。
そしたら意外と楽しめました。4話あたりで主人公が突然キスされてトラウマ掘り起こされるシーンがあるんですけど、
あったのを「女装ホモが突然女にキスされてパニクった」に変換したら面白くて。
そんな感じで序盤乗り切ってたら、中盤からのSF要素が普通に面白くてフィルター通さずに楽しめたんですよね。お得じゃん。
最後まで見終えたら普通に良かったなって、性癖みたいなもんでなんでも抜ける方が得じゃないですか。10年ぐらい前にこれ気付いて性癖拡張してたらまぁ大体なんでも抜けるようになったんですけど。多分これ創作物でも一緒です。
「好き」も「嫌い」も感情のエネルギーなんでどっかキッカケ掴めると反転するんですよね、ファンはよくアンチになるので。
結局作者とか製作委員会のやりたいことを理解出来ればそれなりに楽しめはすると思います。理解した上で好き嫌いで評価が下るのはしょうがないんですけど。
好き嫌いで評価をするのはおかしいけど、好き嫌いで評価するコンテンツなので。
お前が沙都子を嫌いになったから☆1ですじゃねえんだよお前の話は聞いてねえんだよ
実際ムテキングマジでつまんないんですけどなんか癖になってるので実際見て見ないとわからないって言うのは本当にそうだな、って思ったし
ネットのレビューが増えてきて簡単に評価の高い/低い作品がわかるようになったけど
結局自分で見て自分の楽しみ方を見つけると楽しいよね。って話で。
先に挙げた「男として見る」が穿った見方とか揶揄されそうですけど、本人が楽しんでればいいと思うんですよ、楽しむための創作物なので。まぁそれを他人に押し付けるのはよくないと思いますけど。
所謂「楽しむ努力」って奴。言葉の圧力が強いから嫌な言葉に聞こえるけど、根本的な話をすれば日本の作品を見るなら日本語の勉強自体が「楽しむ努力」の始まりなので。
教養がないとお笑いがわからなくなるみたいな話というか。
送り手と受け手が手を伸ばし合うのが楽しむことなんだなーって当たり前の事を最近自分の中で言語化したのでここに書き残しておきます。
卒業式のコミュニケーション(ひぐらしのなく頃に卒)
最高。最終話全部セックスじゃん。
これが楽しめない人は親友がいないんですね👊
嘘です調子乗りました。
こないだのブログがちょびっとばかし反響ありまして。色々な方の感想を拝見させて頂きました。ありがとうございます。
思ったより信者側の思想に浸かってたみたいで、「なるほどなぁ」と唸らされる部分がたくさんありまして、その辺のご指摘等は本当に有難かったです。
結局リカサトが互いを嫌いにならない為、互いに意思を尊重して離れ離れになるだけの話なんですけど、正直このテーマで3クールが長いって言うのはそれはそう。
卒になってから特に回想シーンとか多くてテンポ悪くなってましたからね。
正直惨劇部分いらねーじゃんみたいなとこもあるし、
最後まで圭一他部活メンバー蔑ろにしすぎだなぁっていうのはあったし、
沙都子の心境が中心のくせに旧アニメだと沙都子の心理描写にそこまで割いてないので(当たり前)沙都子の行動に不快になる為、ある程度原作からひぐらしを読み込んでいないと楽しむのは厳しかったのかなぁ、と思います。
個人的に旧作のテーマは「辛い事、困った事があったら隠さずに仲間に相談しよう」っていうのが一番大きいテーマだったと思うので業卒に関してはその部分が蔑ろにされてるなぁというのは感じていました。
最終話でちょっとテコ入れあったけどねー。ちょっとね。
公式が考察してみろや!って殴ってくる所↓も
旧ひぐらし、ひいて07thチックなんですけどこのスタイル本気で今の時代と合わないですよね…(昔が合っていたかと言うと別にそうでもない)
僕は殴り合いってコミュニケーションだと思っていて、だからこそ本気で殴り合える竜騎士作品は好きなんですけど。
言葉って不完全すぎるじゃないですか。英語を見てると日本語ってそれでもまだ気持ちを言語化しやすい言語ですけど。
言葉で伝わらないから、肉体で伝達する。
目は口程に物を言うとか、The face is the wxpression of the mind(顔は心を表す)とか。
結局世界共通で結局最後に自分の気持ちを細かく伝えられるのは表情や動作だとは思っていて、究極系がセックス、暴力だと思っています。
”殺人”も”性行為”も一般的な社会生活を送ってきた人間は大きな気持ちの原動力が無いと実行まで移せないはずなんですよ。対象となる人間への大きな”愛情”や”嫌悪”
があって初めて実行に移せる行動です。
今回の梨花と沙都子の殴り合い(殺し合い)はそのハードルを軽々と超えてきて、
さらに1度殺しただけじゃ飽きたらねぇと何度もループを重ねて、殺し合う(話し合う)。
エモくないわけじゃないじゃないですか。そこまでして伝えたい想いがあるんですよあいつらには。
さらには嫌いにならない為の別離ですよ。どんだけ好きなの。
原作からお互い依存気味だった(アニメに存在しない)描写を膨らませ過ぎだとか、
前述した通りそもそも長いだとか、公式が喧嘩売ってくるとか、
結局そんなものより大事なのはひたすらに心理描写を追う事だったり、沙都子を理解しようとする愛だったり(愛が無ければ視えない)
その辺もひっくるめて楽しめたかなり”らしい”作品で楽しめたなぁとは思います。
(特にこの辺の前後でフォローさせて頂いた方のツイートはとても楽しく拝見させて頂いております。)
生涯で出会ってハマったコンテンツとは他にも沢山あるのですが07thだけは辞めれそうにないですね…もう竜ちゃんに殴られるのすら楽しくなっているので…
また、何かのなく頃に。(キコニアphase2早くして死ねない)
ひぐらし業&卒を見切った人へ
14話で荒れたので解説というか補足というか。
個人的に業卒も相当に面白い作品なので、駄作扱いする人が一人でも減って欲しかったので。
14話が思った以上に荒れていたので感想等はTwitterや5chを流し見しました。
※業卒を楽しんでいてキコニアがわからずなんで飛んだのだけ知りたい方はこっち。
以下から記事に入りますがあくまで一個人の楽しみ方と考え方です、作品の楽しみ方は人それぞれです、押し付けるつもりは全くありません。参考程度に、自分の楽しみ方を見つけて頂ければ幸いと思います。
筆者にもわかっていない作中の表現、シーン等は沢山あると思います。それらを是非教えてください。14話で疑問に思った方が少しでも前向きな気持ちでひぐらし卒を見て頂いて、互いにもっと好きになれれば幸いと思います。
さらに、楽しみ方を踏まえていた上で個人の嗜好に合わず、楽しめない方もいると思います。その方々を批判する気持ちは全くありませんのでご了承下さい。
※筆者:07th作品&竜騎士全プレイ済。業卒については1週、07thオタク向けではなくて14話視聴後「クソアニメ!」や「どういうことだろう?」って思った方向けです。既存の07thオタクにはわかってることしか書いてないです。
・前提
まず前提としてひぐらし業、卒はミステリーではありません。
ひぐらしのなく頃にを綺麗に終わらせる為の、沙都子と梨花の物語です。
ここを理解せずにミステリーアニメが突然能力バトル始めた~って人達が一番多い(個人の観測範囲)
本格ミステリーならそもそも梨花がループしませんし、羽入とかいうふざけた存在出てこないですし、中学生程度の子供数人で特殊部隊は倒せません。大体の人がここは忘れて卒14話のバトルはダメと言ってる感じが見受けられます。
しかも忘れてるだけならいいんですけど、無印はこんな事なかったのに…とか言ってるんですよね。は?
本格ミステリーにこんなんいてたまるか
もう一度言いますがミステリーじゃないです。
ひぐらしもうみねこもファンタジーとミステリーが融合した話なんですよ、だからまずそこを理解してから見るべきで、そこを踏まえないと、
「ミステリーだと思っていたのにファンタジーだった!クソ!(逆も然り)」に陥ります。ぶっちゃけ僕もうみねこで一回陥りました。
人間って期待を裏切られると不愉快になるので。
しかし前提を踏まえて考えて読み直し、細かいシーンの意味やキャラの一つ一つの感情の動き方、台詞一つ一つに注目して読み進めるとかなり完成度の高い作品である事がわかります。
・じゃあこれなによ
有名な話ですが正解率1%とは、発売前のひぐらし鬼隠し編を100人にテストプレイさせてその内の一人が「圭一が信用出来ない」という旨の感想に至った為、これを”正解”としています。
(キャッチコピーに問題がある。商売的にこの方が目を引くんでしょう。)
なのでそもそも犯行手段のトリックや、ロジック、誰が犯人なのか?が一番重要な作品ではない、という事です。
※一番ではないだけで重要には違いなく、楽しむ為の大事な要素です。
作品のテーマに直接関係はしていないということです。
ちなみに業、卒にうみねこ要素はないです。
無いのにあるとか知らないと楽しめないと騒いでる方も多いです。
キコニアは知っていると楽しめる要素がある(後述)。
・業
じゃあ業、卒は何の話だったの?って言うと半分北条家の話です。
あと半分百合ラブコメです。
ヒューマンドラマ、家族愛等に分類されるタグがつく感じでしょうか。
正直ミステリーってつけるなとは若干思います。
なんで北条家の話なのか?というと、無印終了時点で問題を抱えたキャラクターだからです。
祭囃し編は鷹野さんを打ち破って一見大円団に見えるんですが、沙都子の鉄平との関係って解決してないんですよ。
児童相談所に通報が成功して、鉄平と沙都子を遠ざけて解決に見えるんですが、本質的な解決にはなってませんよね。
本質的な解決とは、沙都子と鉄平が互いに歩み寄って、間違いを悔い改め、それでも家族(仲間)として再出発する。が本質的な解決です。
ひぐらしのなく頃にという作品自体、圭一のエアガン事件があったり、レナの父親問題、園崎家の問題、村自体の風習等、罪を隠すだけじゃ解決にならない。
過去の罪と向き合って、互いに赦し合う。というテーマがあったと思います。
だから、ひぐらしのなく頃にという作品を完全な大円団で迎える為には、沙都子は鉄平を赦し、鉄平は沙都子を赦さないといけなかったんです。
そしてそれは業で達成されました。
※方法については賛否あると思うのですが、ここでは達成されたという事実が重要なので
業では鉄平との家族ドラマ、卒では梨花との確執が中心です。
そこになんか殺人事件とか起きるんですけど、この際無視していいです。
雰囲気出すための演出ぐらいに思っといてくれても全然いいです。
事件はどうでもいいです。
※勿論無印との違いを比較して楽しんだり、業の時点で殺害方法や犯人を想定する楽しみ方も大事ですが、それはもう一つの楽しみ方と捉えてください。作品の大きなテーマは北条家の問題解決、梨花との確執です。
・卒
じゃあなんで沙都子のアホは梨花と仲良くして話を終わらせねえんだこの野郎という気持ちは置いておいて、卒です。
旧作のループを抜け出した後の梨花のやりたい事というテーマと、
それに伴う部活メンバーの将来というテーマがあると思われます。
部活メンバーは皆学生なので、卒業とかけての卒とも読み取れます。
さて、圭一は学力に問題はなく、レナもそれなりな上に家事は万全、園崎姉妹は実家が太いので一番心配ありません。
なのでまた沙都子の話になるんですよ。手のかかる子。
正直旧作から圭一が秀才設定とかなければここで圭一の話も入っていたと思います。
ひぐらしのなく頃に無印を綺麗に畳む為に必要な事が沙都子に多かった、というだけの話です。
加えて書かれたテーマは「例えどんな事になろうと譲れない事はある。」
があります、まぁ勉強なんですけど。梨花はルチーアへの進学。
視聴者側としてはそこまで勉強したくないのか?となって萎えるとか
どっちか譲れ、歩み寄れ、そこがしょうもなさすぎるみたいな意見を見かけました。
この辺は実際まだわかります。
でも実際、誰にも似たようなことあると思うんですよ。
僕も他人と長時間居るのが本当に嫌ですし、
事柄はともかく、誰にでも「そんなんするぐらいなら死ぬわ」みたいな事あると思います。
それがたまたま沙都子には身近にあった勉強だったっていうだけで。
梨花も100年雛見沢にいた間に色々空想したんでしょう。
進学して一番仲の良い沙都子と共に学園生活を歩みたいと。
それを当の本人から否定されれば意地になる部分もあります。
加えて意地だけは100年間でアホみたいに鍛えられたんですよ。
人間、思い通りにならないと腹が立ちます。
意見が擦れ違う度に、沙都子はルチーアを思い出す度に。
互いに譲れないから。
殺しても死なないなら、殺してでも言う事を聞かせよう。
長い年月と超常の能力が、二人を「魔女」にしてしまった。
本質はこれです。
14話の戦いはそんな本音の気持ちのぶつかり合いなんです。
一番の友人だった友人が言う事を聞いてくれない。
余りに幼すぎる葛藤ですが、彼女達がそれを飲み込むには幼すぎました。
繰り返す者として何年生きようと、本質的には一人ぼっちだったんです。
そんな二人が本音でぶつかりあった。15話でどうなろうとこの事実があったことが何より”ひぐらしのなく頃に卒”のテーマとも言えます。
「こんなの沙都子じゃない」や「こんなの梨花じゃない」とまで見ました。
人は変わる物だと思います。環境が人を作るというのは竜騎士作品のテーマでもあります。
こんな人外の力を手に入れたら猶更。
そう、沙都子と梨花の成長の話なんです。
誰にでもあった話です。
どうか、理解してあげて下さい。
以上です。これを読んで頂けた方、もう一度沙都子と梨花に寄り添って考えてみてあげて頂ければ幸いです。
・沙都子と梨花が空飛んだ理由
なく頃にシリーズ最新作キコニアのなく頃にの前提が必要ですが一応の仮説、理屈は付きます。
沙都子と梨花が殴り合ってでも本音で意見をぶつけあった、という事実が一番大事であって、ちょっと過剰な演出エフェクトぐらいに見ても話の筋を何も違えず、楽しめます。
・前提として
・キコニア世界には8MS(エイトエムエス)というナノマシンが世界中、空中に散布している。
このナノマシンはあらゆる分野で使用、応用が可能で人間の生身での飛行も可能。
消臭や浄水等日常から軍用にまで全てに8MSが使われている。
※第三次世界大戦で一度死んだ地球を、8MSで無理矢理生かしている状態とすら言われている
・キコニアの世界では、”叡智”と呼ばれるオーバーテクノロジーの発明品が存在する。
叡智を研究している研究所の最深部に時空間、千年後の未来へタイムスリップすると言われている。作中の叡智では人口地震等を発生させている。
発明品の名称は叡智19080630や、叡智18721205等、番号が付く。
H173も叡智173だったりして。うみねこに出てきた謎の番号07151129ももしかして?
ひぐらし世界が過去か未来かは置いておいて、8MSを持ち込むことが可能
・ひぐらし世界とキコニア世界は同一世界である(仮説)。
こちらの記事で詳しく書いているので参照。ガラスの海が決定的な気がする。
これらを踏まえて、
鬼狩柳桜が雛見沢に持ち込まれた叡智の一つとして仮説を立てる。
鬼狩柳桜は繰り返す者を殺すという特殊能力が備わっている。その際に8MSの力を利用していると考えられる。
”殺す”という行為に使う物であるからして、担い手の戦闘能力UP等の機能がついていてもおかしくない。
→鬼狩柳桜を媒介に飛行用8MSを操作する事によって飛行が可能。
実際に飛んだのは鬼狩柳桜を手にしてから。なんならオーラも8MS使用に伴う発光とか。
オマケ
・繰り返す者を殺す能力
じゃあなんで繰り返す者を殺せるのかって仮説
そもそもどうやって梨花と沙都子はループしているのかの仮説から。
沙都子はそもそも特異骨髄標本LD3105が本体。
引用元:
僕の考えも大体これなので引用させて頂きます。感謝。お前引用してばっかじゃねえか
画像の2枚目、キコニア地球電脳サーバーの正体、もしくはその一部が特異骨髄標本3105かな、と
で、鬼狩柳桜の”繰り返す者を殺す力”の正体はこれをサーバーごとぶっ壊しちゃうと。
サーバーごとぶっ壊すのかアップロードダウンロードが出来なくなるのかの違いぐらいはありそうですけども。
以上です。キコニア関係の仮説は大体「一応こういうのがあるから筋は通るのね」みたいな認識して頂ければ十分と思われるのでこんなもんで。
07thオタクの方は抜けてる所や粗ありましたらTwitterでご指摘頂ければ幸いです。
↓
↑文句もこちらから
竜とそばかすの姫はワニ以下
未来のミライのトラウマの克服の為に細田監督の最新作を見に行きました。
やっぱわかんねーーーーーーー、以下ネタバレ感想。
最初に主人公の母親が川の氾濫に取り残された子供を自分を犠牲にして助ける所から始まります。(ここ重要なんやろなあ)
なんでお母さんは私を残して名前も知らない子供を助けて死んだのか…主人公、鈴の葛藤から物語は始まりました。
歌は上手いが人前で歌えないリアルで地味な幼馴染に片思いしてる私、鈴がバーチャル世界でベルと言う歌姫になって云々みたいななろう系か~?みたいな感じで進んでいきます。
なんでも竜は悪い奴らしく皆から嫌われてるんですね。でも惹かれてしまう鈴。
そこからの愛と絆と音楽の物語かな~みたいな感じに思ってて実際、序盤~中盤と掛けてディズニー調に話が進んで、「これは歌と映像で楽しませるタイプの映画かな?」と思ってたんですよ。
(だってなんか竜が嫌われてる理由今一説得力薄いし惹かれる理由も特に見当たらないし)
多分半分過ぎたあたりで別案の後半フィルムに変わったと思うんですけど(名推理)
竜君は誰なんだろうって事で捜索していると、Youtube(的な奴)で虐待されてる兄弟の配信が見つかる。謎の力(重要)で竜だと思う鈴。
鈴は普通の女子高生なので助けたいと思い通話を試みます。
助けたいと告げるもどうやって?に返せない鈴。ここはわかる。(バーチャル世界で面識のある)ベルと名前を告げるも信じて貰えず、信じて貰うには素顔でライブ配信するしかないとなる(なんで?)
いやほんとになんで?
素顔で歌を披露する鈴、本人だとわかり助けを求める少年達。なんだかんだ居場所がわかって鈴一人で救いにいきます(なんで?)
竜の中身を発見し、虐待してる父親にドヤ顔見せたら逃げてったので帰ります(なんで?)
帰ってくる鈴、一件落着(してない)し人前で歌えないトラウマも克服し、めでたく片思いの幼馴染の男の子と付き合い始めます。めでたしめでたし。は?
いや竜の本人どうなったん?????????
なんでお前がドヤ顔しただけで父親逃げたん?????
最初の母親が助けた子供何??????????
本当に誰だったん??????????????
等、、他にも突っ込みどころが多々ありながらも音楽と映像はまぁ良かった…んですかね?
テーマソングの「U」は凄い良いです。サビの疾走感が癖になる。
それ以外は個人的にイマイチだったかなー。まぁここは僕の感性によるものなので。
ワニとどっちが面白いかと言われたらこっちです。物語としての完成度はワニですけど。(あちらは特に見ていて不明瞭な点がなかったので。別に面白くないですけど。)
あと未来のミライみたいにケモショタがケツに異物挿入してイクみたいな自分の性癖やりたいだけみたいな不快になるシーンはあんまりなかったかな…
映像作品と言うものは話が面白いだけでも、映像や音楽だけが素晴らしくても駄目なんだなあということを改めて認識させられました。
(雰囲気だけでごり押してくれればそれはそれで楽しめるんですけどね…旧劇エヴァとか筆頭だと思います。こないだ久々に見たけどポケモンフラッシュとか多用してて今思えば洗脳効果あると思う。)
「楽しい」映画と「面白い」映画は厳密に違うんだなぁー。
FGO6章読み終わってからエンタメに触れたいと言うモチベーションは多少復活しているのでまた何かあったら更新します。また何かのクソ映画で。
例のワニとクソの話
見た。なんか開幕死んでた。
死んだからもう終わりでいいだろはよ帰らせろって思ってたら回想と死んだ後の話が始まった。
別につまんないはつまんないんだけど。
そもそも100ワニ自体は面白くなかったじゃないですか。
それのワニの死んだあとの正当な続編をやってるから酷いとかクソではないんですよね。
ただ面白くないだけ。設定に矛盾があるとか、意味がわからないとか、話が破綻してるとかは無いし。
やたらとあいつらが自分の事を人間だと自称するのは気になったけど、原作からそうだった気がする。(ちょっと確認する気も起きない)
そんで面白い/面白くないは僕の主観なので、こういう何気ない日常系アニメが好きな人は一定数いると思うから好きな人はいないわけじゃないと思う。
ガワを美少女にしたらよくオタクが見てる内容。正直元の内容からガワ美少女にして有名声優にするだけで一定数好きな人はでたんじゃない?
コンテンツ的に見に来る殆どの人がTwitter上での話を知っている人だし、読んだ話見せられるのをそこそこに先の話をするのは正直正解だと思う。
序盤は作画怪しいし読んだ話だしどうせ死ぬとこまでやって感動~~~みたいにして終わりでしょはよ死ね~~~~~~~~ぐらいに思ってたんですけど死んだ後の話やりだしてそこは新しい話だから見ててマンネリ感はちょっと解消されたし。
作画枚数はTwitter上で言われてる通りマジで400枚もないと思う。ダイナミックコード12話分ぐらいは動いてた気がする。
ダイナミックコードとかいもいもぐらい動かないとか突然横に謎の黒塗りが出現するとか突然画面が横回転するとかを期待していったとこはあるのにそこは期待ハズレでした。
出来る限り顔を書きたくないという意思は感じた。後ろ姿多すぎるしワニのママが電話してる1枚目の使いまわしだけで5分ぐらい使ってたぞ。
死んだとき冒頭の回想そのまま使いまわしたときは思わず笑ってた。
良く言えば低予算での見せ方が上手いと思う。そこは監督の手腕なんやろなぁ。
まぁ、これの作画枚数を増やしたり書き込みを深めたりしたからといって話が面白くなるような内容ではないのでアニメーターの方々に正当な対価が支払われているのであれば良いと思います。
正直一番困る系の映画。人に勧められるほど面白くは絶対ないし、つまらないんだけど、そもそもの話映像作品が面白い面白くないかは主観の部分が大きいので。
Twitter上でのアレがあったので、色眼鏡掛かって見える人が大半だと思うんですけどそのへんの先入観なかったら「ふつ~~~~~~~につまらん」くらいの内容だと思います。
何を持ってクソと判断するかって話になると「不快かどうか」ってとこだと思うんですよね。
(きくちゆうきが不快って話は置いておいて)
やはり映画とかアニメって「楽しさ/面白さ」を求めに見に行くわけで、その期待を正反対に裏切られる行為は「不快/苦痛」なんじゃないかなと。
個人的に「つまらない」っていう感情は「好きな人はいるんだろうけど、自分は楽しめない」っていう状態のほうが近いと思うんですよね。皆さんどうですかね。
だってクソクソ言われるダイナミックコードも僕は面白いですからね。
そんなことを考えさせられる映画でした。
個人的に最大にクソだったアニメ映画は未来のミライであれは「不快」でした。
あ、きくちゆうきも個人的には嫌いです。
じゃあまた何かのクソ映画で。
死んだエヴァンゲリオン(バレ含)
正直一生公開しないでいいと思っていた。
視聴後も、やんないで欲しかったと思っている。
映画である以上商業作品であるので、そういう訳にもいかないのだが…
今回は前日にQを見返し、万全の体制でシンを視聴した。
僕は思春期ど真ん中にTVシリーズを視聴しまして、長年の決着という感は僕の中にもあったんだと思います。
僕の好きなうみねこのなく頃にの台詞に「生きた猫は愛でて楽しみ、死んだら腹を裂いて楽しむ」という言葉がある。
物語は2回楽しめるという意味の物だが、
死んだ後の腹を裂いてーの部分には所謂”無粋”や”蛇足”と呼ばれる話も含まれてしまう。
そういうモノが殆どあったのだ、シンエヴァには。
良く言えば不満の無い作りになっていると思う。
話の筋は殆ど旧劇ベースで、一つ一つのポイントを納得出来る形にし、解説まで加えてくれ、新規ファンも既存ファンもなるべく多くの人が楽しめる形になったと思う。
シン単体として見ても、4作品通して見てもかなりレベルの高い作品だと思う。
明確な敵が描かれ、対話により解決した。碇シンジは成長した。
ただ、それだけの話だ。勿論、旧劇から紐解くとただそれだけの話ではあったのであろう。
ただ、猫は死んでしまうと、それ以上愛でられない。
物語もそうなのだ。
エヴァンゲリオンという作品がこれだけ長い間多くの人に愛され、憎まれ、注文を浴び続けた中身には”神秘性”というものがあった様に思う。
一筋縄じゃないかない”様”な、小難しい話の”様”な。
無論、一つ一つ紐解いていけばそんなに難しい話ではないと思う。ただそういう”雰囲気”があったハズだ。
様々な考察と様々な解釈があり、愛され続けた作品だと僕は思っている。
考察本とかもいっぱい出てたよね。
あまりにもシン・エヴァは語りすぎていた様に僕は思い、そこが不満だった。
(旧劇が語らなさ過ぎた部分はもちろんある)
勿論これは僕の好みの問題でもある。
全てを説明したほうが今の社会下手に炎上等しないし、作者が作品を通して伝えたい事から掛け離れてしまった考察等が広まる心配も無い。
何より最近考察系アニメは流行らないし。
だがそれは、視聴者を”考える楽しみ”つまり”生きた猫”を殺す行為だと思う。
猫箱の猫は死んでいるか、生きているかわからないからこそ生死を巡っての議論を楽しめるのだ。
エヴァンゲリオンといえば、そういう”考えて楽しむ”という固定概念が僕の中にもあったんだと思う。
箱を開けて猫の生死を見せて語られてしまうと、生死を巡っての議論は出来なくなる。
表裏一体であり、賛同が得られるのは勿論箱を開ける方だろう。
ただ、箱の中身を知らなければ永遠に議論が出来る。愛せる。
この主張が押し付けがましいのも理解しているが、それを押し付ける記事なのでご容赦頂きたい。
謎が謎のままで終わる事があってもいいんじゃないかと。
正直視聴後はどれだけ頭を悩まされるか期待していた部分はあった。
これで終わりと製作側も明記していたのに、どうせ続くんだろうなと思っていた自分もいた。
そこが裏切られーまさに死んでしまった。
そこを含めての「さよなら、全てのエヴァンゲリオンー」という台詞なのだと思うが…
この記事自体、エヴァンゲリオンが死んだことを拒絶してる僕への葬式みたいなもんだと思う。
正直、君が死ぬまでに覚悟する時間はたっぷりあったし、書いたほど悲しんでるわけではない。それ以上に楽しみを十二分に与えてくれた作品だと思う。
結局囚われずに生きろという旧劇からのメッセージは変わってなく、これを書いてる時点で囚われている気はするが―
だから僕もありがとう。さよなら、エヴァンゲリオンー
キコニアのなく頃に 備忘録
自分用のメモ
-
目的
・<地獄>の回避?
なく頃にシリーズ共通ではあるが、まずルール(勝利条件)の確定をさせる必要がある。
作中で都雄が主人公じゃないと表現もあるあたり、プレイヤーが複数人存在していて、それぞれのプレイヤーが各勝利条件に向かう話ではと予想する。
つまりチェスというよりボードゲーム?
(phase1はWW4が発生し、藤治郎セシャトあたりの勝利と言っても良い様な結末を迎えている。あれで終わりならば、だが)
藤治郎の「それが出来るなら、お前たちは本当の主人公だ」との発言の通り、ゲーム盤から降りる事が出来ればプレイヤーになれると読み取れる。
セシャトも「自分たちの意思を決定しなよ~」的な発言がある。
そして各プレイヤーが1つの勝利条件に向かって戦うゲームではなく、各プレイヤーが各勝利条件に向かい戦う話だと解釈する。
上記からセシャト、藤治郎、ジェストレス
あたりはプレイヤーだと思われる。彼らは勝利条件(人類をどれほど滅ぼしても生き延びさせる)
が似ているのでプレイヤー同士で利害の一致する場面では協力していると思われる。
セシャトが藤治郎に向けて裏切らないでよ?的な発言があったので完全な一致はしていると考えづらい。
作中の大きく働いている意思が
・人類の存続(スリーパーソンや籐治郎)
・肉体不要論(地下研究所やギュンヒルド、コーシュカ、クロエあたりはこの辺?)
・無血の平和(大浴場騎士団。正しphase1では駒のままなので完遂出来ない)
で、phase1では”人類の存続”(正し何人生き残るかは知らん)が達成された。つまり籐治郎の勝利?
肉体不要論が完全なる滅亡と同意義なのかも微妙。
ゲームマスターはわからん。
- 気になった所
・キコニア(コウノトリ)
→キコニア生まれ、という言葉が存在していて、どうやら性交により母体から生まれる事を指していると思われる。
・注意事項に・個人・団体・国家・宗教・森羅万象・宇宙意思・神の計画・ヴァチカン文書第34号とは一切関係ありません
→謎。34といえば鷹野三四で、緊急マニュアル34号。ラムダデルタとの関連性を疑える程度。
・霊素がエネルギーとして存在している。うみねこEP4以降でワルギリアが霊子戦等、霊素と思われるエネルギーを使用しての魔法(魔女幻想)が描写されている。
→あんま関係ないかも
・文明の終端まで来ると、”アイツ”が来る
→第四次世界大戦のほうがよっぽど人道的らしい。
ラスボス、ゲームマスターであるか否かは不明。
・リーテバイ「私はお前をやっぱり、…疑えない」
終盤。ACR国内で都雄を疑うに値する何かしらがあったと思われる。
・パンドラ=コーシュカ
コーシュカ「オラが必ず滅ぼしてやるっぺよ。こんな、イカレた世界」
破壊願望、終盤で肉体を捨てれば大人に一矢報いる事が出来ると語る。
→肉体を捨てるとメタ世界?
パンドラ複製計画という研究がされていて、コーシュカの脳をコピーする計画と思われる。
恐らく、成功するとガントレットナイトのコピーが作れる?
・ギュンヒルド・ナイマ・ルクシャーナ
この3人に関しては二十人格を疑える描写が数か所存在する。
だがジェイデン以外全員多重人格でもおかしくない(ジェイデンですら自覚のない多重人格の可能性もある)。
・クロエ
最後の戦争でリリャに電撃を流して間接的に殺害している?
最後の方で肉体不要論に賛同してそうな感じ。
・19940305
オブジェクト。叡智とは表記されていない。
オブジェクトって言われるとSCPぽい。
・エピソード跨ぎの時計
→終末時計、一般的な終末時計と比べて半時刻分大きい。
終末の先があるということ?
IPMA(8MS管理機構?)
アルテミス:水質浄化8MS ACR南アフリカ国営8MS企業登録
システマ・クラル:大気浄化8MS LATOアルゼンチン
パルパル1.02:大気浄化8MS COUシンガポール
インスィジャーム:大気浄化8MS COUサウジアラビア
→盗み出された8MS設計図の一部、どれも環境整備系である。
これらにより、アルビールL5が復活または再製造されたと思われる。
元の製造はABN加盟国。
戦争自体は<地獄>ではなさそう。
- 黒都雄
※黒都雄とは作中で登場する、”預言”を行う都雄の事である。
「都雄は壊す、殺すを目的に生み出された。大勢の君の中の一人。」
かつていた御岳都雄の模倣プログラム?
都雄には”唯一の目的”がある。それ以外の行動は”唯一の目的”を達成する為の過程でしかない。
都雄がいなくなることで世界に起きる事件が回避される。
黒都雄は既存の都雄を追い出すためのプログラム。
2度目→研究所のガントレットナイトと同じ様な服装→都雄は研究所で製作された?
自分の言葉は神から預かった言葉の預言。
都雄「あんな地獄・・・絶対に認めるものかっ!」「あの運命だけは回避する!」
→都雄自身もデジャヴがある?
・地獄を防ぐためには”あやつ”を殺害しなければいけない
黒都雄「3人の王を。あやつを、殺すんだ」 それが無理ならば…君を。
→3人の王を殺すのか、3人の王+あやつを殺すのか?多分後者。
全てを殺し尽くすスリーパーソンの破壊兵器が都雄?
都雄の母は都雄を駒にするために生み、その時点で実用化されていないガントレットを世界で一番使いこなす才能を与えた。
- 御岳藤治郎
ウィステリア騎士団団長。
人類滅亡の為に暗躍するが、WW4後に生き残る人類を少しでも増やすことが目的らしい。ジェームズ・ボンドの真似事と称している。
プロメテウス騎士団や、スリーパーソンのスパイをしていると思われる。
後に、僕らのプロメテウス騎士団等との発言をしている。
藤治郎も預言をという言い回しをする。預言は絶対の宣告という地の文。
→ラムダデルタの介入は黒都雄か藤治郎?
嫁は駒だった人生はもう終わったとの表現がある。嫁はジェストレス?
ジェストレスの容姿もラムダデルタや鷹野三四に類似している。ジェストレスがラムダデルタ?シンプルに怪しすぎて逆に怪しい。
ガントレットの完成が文明の終焉?
・藤治郎と軍高官の握手、指の形の独特な風変わりな握手
→フリーメイソンの握手は指の形を変える。ウィステリア騎士団がフリーメイソン的な存在?
・「それが出来るなら、お前たちは本当の主人公だ」
→都雄が主人公ではない? ”たち”が都雄&ミャオを指すのか黒都雄を含めて指すのか、ガントレットナイトの仲間を含めて指すのかは曖昧。
- スリーパーソン
・老人達は嘆きの王/嗤いの王/怒りの王「人類を正しく導く為に」
→第9最上騎士団団長→全ての陣営に団員が潜入中(4人)→”連中”を追っている
都雄が大浴場騎士団を結成時に既にスリーパーソンへ情報が流出している。
内通者の予想はそれぞれ黒い人格を見せたクロエ、ルクシャーナ、ナイマ、リーデバイル
既にある考察ではあるが、phaseごとにループするのであれば、内通者が毎度変わることにより、ルールXを提示しているという考察が存在する。
・「神の計画を逆手に取った、人類の命運を人類の手に取り戻す、最後のチャンス」
人類の命運が人ならざる者に握られている?
→つまりスリーパーソン以外の勝利条件が魔女の勝利条件?
・”我が手に我が弓。我が矢は我が心の蔵。放つ時に、怯むことなし”ー第9最上騎士団の誓い
→自爆?
・4節開始時 :”駒は揃った。駒は並んだ。相手はまだだ。パーフェクトだ”
→ここまでの登場人物が駒?スリーパーソンがゲームマスターならプレイヤーはこれ以降に登場する?
この時点で登場していないのは、ミャオ、フィーア、マヤ
スリーパーソンがプレイヤーならゲームマスターが未登場?
- 地下研究所
※名称不明。暫定で地下研究所と呼称
スリーパーソンから送り込まれた”博士”(正体不明、不老不死の研究中?)頭部を切開されている?
→スリーパーソンを敵対視?スリーパーソンの言う”連中”そのものと思われる
環境整備系の8MS設計図を盗み出した?
・最深部に時空間、千年後の未来へタイムスリップするらしい。
・叡智19080630
重さ403g、381個のパーツに分解出来る小星型切頂十二面体。
ミッシングリンクの3番を埋める鍵?世界大戦を防ぐ
・叡智18721205
ディビットによる金色に光る三方二十面体の翻訳物。これによりマリオは自害した。
金色の輝きを放ち、高音を発し、人体を煤に変える
・マリオの翻訳物
8MSの無力化装置?地震発生装置?両方?
人工地震の可能性。
スリーパーソンの計画の内にはない。
・工場
人体を分別している。頭蓋と脊髄だけ残されている。
<地獄>、そして<未来>と評するト書きがある。
この<地獄>は何もしなければ<絶対>訪れる。
絶対の意思でこの工場を製作した人間がいる?
肉体不要論派が肉体を捨てる為の工場?
不老不死と繋がる為研究所と関連性あり?
- プロメテウス騎士団
”我ら主命の為には、悪魔の技を手にし、悪魔の業に手を染める事も厭わず”
元は第9最上騎士団、 団長はセシャト
イオアンニスの黙示録はヨハネの黙示録。
ヨハネの黙示録には7人の天使がラッパを吹き、人間を殺す記述がある。
ガントレットナイトが空を舞う際に天使の様な羽が舞い散る所からこれに関連してると思われ、つまりガントレットナイト自体が人間を殺すと読み取ると黒都雄の発言と一致してくる。